Sep 17, 2010

[記事翻訳] 100917 [芸能] ★★★ ★よ、お願い!(3) - 教え子“テヨン”と“オニュ”(SMアカデミー イ・ソルリム代表 単独インタビュー) - 韓国就業新聞

2010年9月17日(金) 22:50:35 イ・ジェリム記者

 

最も記憶に残っている教え子 
 
★少女時代 “テヨン”

 
▲ 少女時代 “テヨン” 
出典-SMアカデミー

イ・ソルリム代表は最も記憶に残っている学生は誰かという質問にすぐに答えた。 
 
「やはり最も記憶に残っている学生と言えば、少女時代のテヨンがよく記憶に残っています。テヨンが中学校2年の時、お父さんの手を握ってちょこちょこ付いてきました。全州出身で、中学校2年ということもあり、とても幼いので一人では行かせられず、どうしてもお父様が付いて来なければいけませんでした。お父様は眼鏡店をされていたんですが、別個に話をされました。あなたは芸能人や歌手を無理にさせるつもりがなく、それが大変だということをよくご存知だし、毎週日曜日に連れて来なければいのは大変だから、この子に基本的な資質がなく違うようだと思ったら、この子に諦めさせてほしいとおっしゃいました」 
 
「それで“ではお父様、私たちがお子さんの歌を聴いてみます”と言いました。歌を歌ったんですが、まあ今ほどうまくはありませんでしたね。とりあえず声自体はきれいでした。これから努力すればいい子になれるかもしれないという印象を受けました」 
 
「テヨンに尋ねてみると、自分一人でパソコンで歌をかけて練習していると言うんです。なにせ中学校2年と幼いこともあり、どうやって練習しなければいけないかもわからないらしいんですが、一生懸命やれるかと尋ねてみたところ、一生懸命やると言うんですね。それでお父様に“大変かもしれませんが、この子がこんなに好きで、ここで私が諦めさせたところで本人はきっとやろうと努力するでしょう。この子は目の輝きがよく、声がいいので、1年でも半年でも練習させてみませんか?”と言いました。それでお父様が毎週日曜日に全州から連れて来て、授業が終わる時間まで待ち、夕方になると連れて帰られて。そんなふうに1年、大変ご苦労をされましたね」 
 
「成功するにはある程度、運も必要だと思うんですが、その当時、青少年ベスト選抜大会でベストボーカリスト賞の1位になり、契約をして行きました。最期の四半期の時、私たちの先生の中に“The One”というボーカルトレーナーの方がいらしたんですが、テヨンが1年間なにしろ一生懸命やっていたし、声がいいので一緒にフィーチャリングをされました。歌も立派に仕上がり、それでいい雰囲気でSMに行くことになりましたね。中に入って、なにしろよく伸びました。努力もたくさんしましたね。ダイエットもしたりして。なので、少女時代のテヨンが一番よく記憶に残っています」 
 
ボーカル課第4期生だった中学2年の女の子、“キム・テヨン”は2004年、SMエンタテインメントと契約し、3年余りの練習期間を経て2007年、“少女時代”で正式にデビューすることなる。

 

最も記憶に残っている教え子 
 
★SHINee “オニュ”

 
▲ SHINee “オニュ” 
出典-SMアカデミー

イ・ソルリム代表はまた、オニュも外すわけにはいかないと話を続けた。 
「SHINeeのオニュもまた、よく覚えています。本名がジンギなんですが、ジンギも本当にとても優しく素直で、声のボイスカラーが非常によく、“あなたは成功できるから一生懸命やろう”と言いましたね。けれどもジンギはあまりやる気がありませんでした。とても恥ずかしがり屋でもあって。なので今、ジンギがバラエティに出演しているのを見ると、こちらが恥ずかしくなるんです(笑)。ジンギがあんなにまでなるとは思いませんでしたね。よくやっています。あの頃はまだ高校生で、まあ悪くなかったし、なによりボイスがいいので、この子を見出してきちんと育ててくださったら、とてもうまくいくはずだと思っていましたね」 
 
「その頃、確かSMでスーパージュニアだったか、ショーケースをやる時でした。アーティスト開発室のほうで準備をしていたんですよ。それで担当の方に“同じSMエンタテインメントの系列会社であるSMアカデミーがある。2、300人来ると思うが、私はアカデミーにもこんなに一生懸命やっている子たちがいることを見せたい。私たちのステージを一つだけ入れてほしい”と言いました。もちろん私たちの公演ではありませんが、アカデミーにもこんな子たちがいるというのを見せたいと、実はお願いをしたんです。それで許可を得て、ジンギとほかの2人の子に準備をさせました。“その子たちはまだそこまでボーカル能力に優れてはいないが、持っている声は非常にいいので、バラードよりはダンス曲でやりたい。短く太くダンスでやって、後にはほかの学生たちをバックアップダンサーにしてするつもりだ”と言いました。そのショーケースはダンスのステージがちょっと多かったため、“できればダンスはしないでほしい”と言われましたが、途中でちょっと事情を訴えて、フィソンとコミの『Do it』という曲をやりました」 
 
「彼らの練習にあたって、私はわざとたくさんしごきましたね。彼らがステージに立つまでは非常に怖く厳しく対しました。なぜならば、常に自分の教え子であるから愛情を持った目で彼らを見ることができますが、一般の人たちはとても冷たかったり、批判的であることがあるので、私の言葉よりもっと傷つくかもしれません。それで逆に公演の前に、一生懸命やらなければならないという気持ちで、彼らに言いましたね。うれしいことにショーケースにはイ・スマン先生が来られるんですよ。それで“これが君たちのいい機会になれば、カメラオーディションなしですぐ行くこともできる”と話して、本当に大切な機会だからと、徹夜で練習をさせました。ところで、以前にジンギを何度かSMに見せたことがあったんですが、よくわからないと言われたんですよ。けれどその日、先生が見て気に入られたんです。幸いにも、ボイスがとてもよくキュートだとおっしゃって、すぐ契約となり、練習生を2年ほどやって、ちょうど20歳でSHINeeとしてデビューしましたね。実際、ジンギは私によくしなければいけません(笑)」 
 
「彼の持って生まれたいい運命、“天運”と私は表現していますが、ご両親たちにもそんな話をしましたね。ジンギは“天運”がよかった、そしてそんな機会をよくつかんだと思う、そう話してます。なのでその二人が一番記憶に残ってます。4Minutesのガユンもいるし、MBLAQのジオもいるし、エピソードはいろいろありますが、やっぱりSMに行った子たちが、自分がたくさん努力をしたこともあって、記憶によく残っている感じです。満足感があります(笑)」 
 
ボーカル課第7期生だった18歳の男の子、“イ・ジンギ”は2006年、SMエンタテインメントと契約し、2年余りの練習期間を経て2008年、“SHINee”で正式にデビューすることになる。

 

★スターになれなかった子どもたち

もちろん、SMアカデミーで上記のように成功するケースもあるが、スターとして成長できなかったケースのほうが多い。青少年期をすべてここに捧げたけれど、スターになれなかった子たちは、“自分の道はどの道なのか”と、道を失いさまようかもしれない。イ・ソルリム代表は自身もそれが最も胸が痛むケースだと言いながら語り始めた。 
 
「私がいつも強調することがあります。歌手、俳優。芸能人は実力と自分だけの個性的なビジュアルも大切だけれど、自分ではどうにもできない“天運”というのが伴わなければ、自分が望む歌手や俳優の道に進むことはできません。けれど、自分が本当に音楽が好き、演技が好きでその道を望むのなら、それができる人たちが人を作り、教えることもできるのだから、ほかの道があると、そう話をします。いい先生になることもできるし、プロデューサーや公演企画者、この分野の専門教授になることもできます。ご両親たちに離す説得の要素かもしれませんが、“本当に子どもが音楽や演技が好きなら、専門家になることができる道を作ってあげるのが親の役割ではないか”と話しています。そのため、ご両親たちに、もちろん運命が歌手になれるものだったらいいけれども、そうじゃなければ、私たちは“歌手にするんだ”と考えるよりは“大学に行ってそこで専攻を学んで、専門家として別の方面へ育ててあげることができる勉強です”と言います。実質、プロフェッショナルな職業を手に入れるためのひとつの勉強であるかもしれないので、好きなことをやってこそ、楽しく仕事をして、最後まで行くことができるのではないか、そう考えます」 
 
「実は個人的に望むことも、SMエンタテインメントにおいてアイドルとして寿命が尽きると言ってそれで終わりではなく、いいプロデューサーや機会を与えてこそ、最後まで自分たちの所属歌手ではないのかと思います。彼らも自分たちが経験したから生み出すことができるんです。実際、パク・チニョンさんやヤン・ヒョンソクさんのような方たちも、自分たちが経験したから生み出せる人間になったと、私は考えています。むしろ、ほかの子たちよりも習ったりしていた子たちのほうができることは多いと思います。なので“どうかさせてください”と言いますね。もちろん、違った部分ばかり持ってするなら、どんな仕事も選べないと思いますが... 私の場合も自分で選んでとてもよかったし、今も楽しく仕事してるじゃないですか。あの子たちが自分と同じ役割をしてくれることもあるでしょう。私はもちろん歌を教えることはできないけれど、それでも彼らは教えることもできるし、もっとさまざまな職業があるとはずだと私は考えます。まあ、“少女時代、きれいです”と言いながら、ファンクラブ精神で来る場合もあります。実質、本人がオーディションのようなものを経験すれば、落ちた後で挫折もするけれど、それでも音楽が好きだと、逆に先生になると言う子もいたんですから。なのでアカデミーの役割としては、自身の力量を開発させて、いい方向へ導いてあげるのが一番いいんじゃないかと思います」 
 
職業を見つける上で、少し違う方向の道へ行くとしても、それは失敗ではない。この話は芸能人を志望する人たちだけでなく、すべての人に当てはまるだろう。自分がやりたいことをすぐに成せなかったとしても諦めず、自分がその仕事をうまくできるのならば、いくらでも別の道を探して成功することができる。夢に負けるのはやめよう。

 

★子どもが芸能人になると言ったら?

 
▲SMアカデミー、イ・ソルリム代表

SMアカデミー代表でもあり、一人の子ども母でもあるイ・ソルリム代表はどんな選択をするだろう? 
「前もそんな質問を受けたことがあります。私はさせます。してみろと。自分で気づくようにしなければいけません。ここに来られて、やみくもに反対されるご両親がいつもたくさんいます。なぜなら、ご両親は実際に易しいことではないということをご存知だから。けれど、子どもが早く体験をして自ら納得できれば、断念だろうが、もしくは続けて最後まで行こうが、可能だと思います」 
 
「私は11歳になる息子がいます。まだ幼いですが、むしろ周りの人たちがいろいろ心配をされます。私は“勉強しろ”というタイプじゃないので。むしろ得意なことがあったらそれを見つけてあげて、やってみろと言ってあげたいです。私の子がバックアップダンサーになりたいと言ったとしても、“やりなさい”と言いたいです。もちろん、お腹の空く職業になるかもしれませんが、自分で経験してみて“私には向かないな”と自ら判断できるよう手伝ってあげるのが、正しいと考えます。そうしていて本当にうまくいき、その道を進むことができるのなら、とてもいい職業だと思います。もちろん、失敗する確率のほうが高いかもしれません。けれど人生において、自ら楽しくやって一番好きな仕事だと言うのなら、させてもしうまくいかなくても、さっき言ったように別の道がないわけではないんですから。そのような道は十分にあると考えます。100%です。私は子どもがこっちをやると言うなら、そのような道を探してあげようと努力するんじゃないかと思います」 
 
もちろん、アカデミー代表であるため、親の立場とは少し違うのではないかと考えることもできる。しかし彼女の力強い言葉には、多くの子どもたちと親たちを見ながら、真実として感じたことがたくさんこもっているように思った。 
「昔はクラシック、美術、声楽に行くと言えば支援をたくさんしましたが、“芸能人になる”と言ったらご両親たちは反対し、まず心配をされましたよね。けれども今は大衆文化、音楽の観念が違っているんですよ。逆にあちらから大衆音楽側にクロスオーバーみたいなケースとして専攻を変えられていらっしゃるんですよ。タンタラ(芸人)とか、そんな概念じゃなく、専門家的な方向も多いので、やる気と才能がある子なら、それを育ててあげるのが望ましいと思います。また最近、非常に積極的なご両親が大勢いらっしゃいます。“やると言うんならもっとさせてあげたい”と、“やるからにはしっかりやれ”とおっしゃりますね。アメリカから夏休みに入るといつも来る子たちもいますよ。多いです」。彼女自身、自ら好きな仕事を見つけて楽しく仕事をしているように、彼女の子にもそんな道を歩むことを願っているようだった。そんな母の心で学生たちと向き合って来たから、多くのご両親たちも彼女を信じて子どもたちを任せたのだろう。

credits & source : 韓国就業新聞 (webpage capture by archive.today)
translation : jiji3104

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