7月30日。“未来ライフ”学部の設立事業を独断的に進めた学校に対抗して本館を占拠していた梨花女子大学の学生たちは、総長との対話を待っていた。しかし、彼女たちの前に総長の代わりに現れたのは、1600人の警察隊だった。警察と対峙した状況で学生たちが歌を歌い、その様子を収めた動画はSNSを通じて広がった。「伝えたい 悲しい時間が 散り切った後じゃなければ 聞こえないけれど」。学生たちが互いの腕をつかんで揺るぎなく歌う歌は少女時代の『タシマンナンセゲ(また巡り合えた世界)』だった。
デモ現場で『タシマンナンセゲ』を歌う梨花女大の学生たち。このひとつの風景に人々はそれぞれの仕方で衝撃を受けた。あるものは彼女たちの前に戦警(機動隊)が立っていることに驚き、またあるものは聞こえてくる歌が『岩のように』ではないことに、しかもガールズグループの歌であることに驚き、またあるものは #世界溌剌(“Save Our Ewha”フェイスブックページの“タマンセ”動画の下に付けられていたハッシュタグ)としたデモのやり方に驚く。またあるものは『タシマンナンセゲ』がこんなに美しい歌であることをこの時まで知らなかったという事実に驚く。このすべての衝撃の共通点はひとつの結論をもたらす。世界が、変わったということ。彼女たちの歌から、また巡り合った“新たな”世界を読み取るのだ。
梨花女大の学生たちがなぜ『タシマンナンセゲ』を選んで歌ったのか、正確にわかるものはひとりもいない。おそらく、単純には、まさにその場でデモを行っていた学生たちがみな知っており、そらで歌うことができる歌だったからだろう。そのため、梨花女大の学生たちが歌った『タシマンナンセゲ』は、既存の民衆歌謡や闘争歌のように向かい合った対象に立ち向かったり、闘争のメッセージを伝える方式として機能する代わりに、その時その場所で歌を歌う人間のアイデンティティを明確に見せる役割を果たす。当然、若い、女性としてのアイデンティティだ。同時に、デモで歌う歌は決められていないと考える、人に強制される歌ではなく歌いたい歌を歌う、そういう個人たちの連帯がそこにある。
『タシマンナンセゲ』は2007年夏、ちょうど9年前に発表された歌だ。少女時代のデビュー当時も人気を得ていた曲であるのは確かだが、もっとも成功したガールズグループのデビュー曲と言うのは難しい。大衆は、自分自身の姿で世界に向かって足蹴りを放っていた少女たちよりも、“私は君しかしらないおバカさん”(『Gee』)と歌う少女たちのほうを容易に記憶し愛した。逆に『タシマンナンセゲ』を大切にしてきたのは、この歌の歌詞が自分が歌うものであると同時に自分に向けられたものだと感じた同世代の女性たちだった。聴き手の性別が決められていないこの歌において、“君のことを思うだけで 私は強くなる 泣かないように 力になって”という歌詞は、誰かを思い浮かべるだけで強くなることも、少女を泣かないように助けることも、どちらも女性として読むことができる。『タシマンナンセゲ』の力強いリズムと淡い情緒が多様な解釈の可能な歌詞と出合う時、そのすべてに共感するのはずっと少女と呼ばれてきた若い女性たちだった。
『タシマンナンセゲ』が一時の人気曲ではない、現在形の歌として残ってこれたのは、デビュー期の少女時代をロールモデルとしたいくつかのガールズグループを含め、まさにその若い女性たちが歌を9年間再発見し続けてくれたからだ。みな違う場所でその歌を聴き、互いを強くさせて、そして泣かないように力になってくれる存在を待ってきた。当然、それは王子様ではなく、オッパ(兄さん)ではさらにない。それゆえ、今回の梨花女大の学生たちの歌に誰よりも進んで素早く応答したのは、その歌の聴き手が自分だと信じる同じ若い女性たちだった。『タシマンナンセゲ』の日から4日後の8月3日、本館の大学生たちを支持するデモに参加した梨花女大の卒業生たちは、携帯のフラッシュの光を集め、美しい連帯の星座を作った。彼女たちの「姉さん来たよ」という4文字に学校の外の多くの女性たちも支持の意思を表明し、再び大きく、そして緩やかな連帯の輪が完成した。
その中で“視線の中で 言葉は必要ない”経験を共有した彼女たちは、“かすかな光”を見た。ひょっとしたらそれよりもっと明るい光かもしれない。みな知っていて、愛していたが、それぞれの場所でだけ聞いてきたあの歌を一緒に歌い、個人の思い出を共同体の記憶へともたらした体験はたやすくは消えないだろうから。予期せぬ場所で、思いがけず聞こえてきたこの歌を聞き、新たな世界と世代だけを読み取ったなら、間違っている。もうやってきていた未来、もともと存在していた互いと世界が、あの時、あの場所で、また巡り合っただけだ。少女たちから、少女たちへ。若い女性として生きてきて、そして生きていく女性たちの、過去と、未来へ。文章を結ばず、消えていく歌の終わり、“世界”を完成させるのは結局、この歌を自分の歌として抱き、“険しい道”を歩く少女たちだ。そして再び、初めて、今こそ少女、若い女性たちの時代だ。
文章 : ユン・イナ(コラムニスト)
写真 : ”Save Our Ewha”フェイスブックページ
校正 : キム・ヨンジン